教会暦年は、古くは11月11日の聖マルチン祭(収穫祭)に始まって
いました。
農民は収穫がすむと、マルティン祭の日に、領主に現金に加え家畜
や卵、バター、チーズなどの農産物を年貢として納めました。
手元に残った家畜のうち、冬のあいだに飼っておく余裕のない分を
塩漬けなどにして保存しましたが、収穫に感謝しつつアドベントの
2週間の断食が始まる前に、普通はめったに口にできない新鮮な
肉を堪能したのです。
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その家畜のなかにはガチョウもいました。
古くはガチョウは鶏とならびヨーロッパの代表的な家畜であり、
豊作のシンボルとして収穫祭に捧げられた。
また、冬の始まりとされるマルティン祭の頃にはちょうど脂がのって
ガチョウが一番おいしい時期でもありました。
マルティン祭りにガチョウが食べられるようになったのは、トゥール
の大司教に選ばれた時、大司教になりたくなかったマルティンは身を
隠したが、それをガチョウが見つけ、鳴いて彼の居場所を知らせまし
た。
なおガチョウの羽は布団やクッションに、あるいはペン軸に利用されて
いましたが、クリスマスツリーが一般化すると、ミニツリーにも利用
されるようになりました。
ゲルマン人やスカンジナビア人は冬至に猪や豚を食べていました。
豚は中世まで平民の貴重な肉食源であり、かつ豊饒のシンボルでも
ありました。
豊饒神のフレイには猪を一頭ささげ、盛大な宴会を開いていました。
野生の猪が減少する祭事には豚を代わりに用いましたが、それも次第に
頭だけを抽象的に用いるようになりました。
冬至祭がクリスマスに取って代わられるようになっても、猪や豚は
クリスマス料理として残り、16世紀頃から豚の口にオレンジもしくは
リンゴをくわえさせたものを大皿にのせ、月桂樹やローズマリーで
飾り付けをするようになりました。

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クリスマスディナーはガチョウか七面鳥

各国が毎年のようにクリスマス柄の記念切手を発行するようになる
のは1950年代以降のことです。
中には寄付金付きのようなものもあります。
人気が高いのは、「きよしこの夜郵便局」や「幼児キリスト郵便局」
など、特別郵便局の消印が付いたもの。
クリスマス専門の封筒を発行している局もあります。
すでに中世において、農家の主婦は祝祭日にコショウケーキや蜂蜜
ケーキ、バターケーキなどを焼き、北ドイツではビールを醸造し、南
ドイツではワインを作っていました。
しかし、16世紀前半においても、クリスマスは農民の祝祭暦には
含まれていませんでした。
当時クリスマスはまだ純粋に宗教行事として教会で祝われていたため
で、家庭内で祝祭料理を食べることはなかったのです。
クリスマス料理といえば七面鳥と思っている方も多いだろうと思います。
七面鳥は16世紀初頭にスペイン人により南アメリカからヨーロッパ
にもたらされて珍重されました。

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なお、世界で最初にクリスマスに七面鳥を食べたのは、美食家として
知られるヘンリー8世と言われていますが、ヨーロッパに自生する
鳥ではないので、一般人の口に入るようになるまでにはしばらく
時間がかかりました。
七面鳥がヨーロッパにいなかったことは、グリム童話に「ガチョウ番
の少女」や「金のガチョウ」などガチョウの出てくる話はあっても
七面鳥が出てくる話がないことでもわかるかと思います。

世界各国のクリスマスの切手をクリスマスプレゼントにするアイデア

特別郵便局に送られてくる手紙のうちコレクター用が5分の1ほどある
そうです。
また手紙は、ブラジル、イスラエル、中国、グリーランドなどからも
届き、日本からのものもあるそうです。
たまに「幼児キリストさま」「天国の天使さま」とだけ書かれた手紙
が舞い込むこともあるということですが、ヨーロッパの郵便局員で
この「幼児キリスト特別郵便局」を知らない人はほとんどいないの
で、みんなが届ける努力をしてくれるそうです。
送られてくる手紙の他に、毎年10万人がこの郵便局に手紙を出しに
やってくるのです。
ドイツやオーストリアでは企業が従業員にお菓子の詰め合わせセット
やサラミソーセージなど、毎年ちょっとしたものをクリスマスプレゼント
として贈る習慣がありますが、そういうプレゼントやクリスマスカードをここから発想する企業もあるみたいです。
レストランのホールを借りて設けられる特別郵便局の入り口には、
きれいな絵が描かれ、ドイツ語以外で書かれた手紙が額に入れて
飾ってあります。
局長さんの話では、たくさんの手紙の中には個人的な悩みを切々と
綴ったものもあるそうです。
北欧のサンタクロース村にもこのように救いを求める人たちからの
手紙が届くのでしょうか?
1800年台にカナダで発行された切手は世界で最初のクリスマスの切手
であるとされています。
しかし、図柄は大英帝国の地図で、純粋にクリスマスの切手と呼べる
かについては疑問が残ります。
その後に、世界の様々な場所でクリスマス柄の切手が発行されました。

モミの木のある小さな教会でのクリスマス

なぜ、シュタイヤーの町はずれに「幼児キリスト」という名前の集落
ができたのでしょうか。
17世紀、シュタイヤーの町に、フェルディナンド・セルテルという男
が住んでいました。
セルテルは病弱で、そのためあまり人前に出ることを好みませんでした。
セルテルは修道院からロウでできた幼児キリストの小さな人形を買いました。
セルテルは、人里離れた崖の上、土地の人々からは天国の下と呼ばれて
いる場所に立っているモミの木の幹に穴を掘ると、中にその人形を
入れました。
信心深いので、しょちゅうモミの木を訪れては、どうか自分の病気
が治りますようにとお祈りをしていました。
やがて病気は治り、噂を聞いた人々は「木の幹にいる幼児キリスト
のところへ行こう」と各地からそのイエス像を拝みにやってくるよう
になり、やがてこの場所は「幼児キリスト」と呼ばれるようになり
ました。
その後、このモミの木を囲むように小さな教会が建てられ、さらに
多くの人々が巡礼に訪れるようになりバロック様式の今の教会に
建て替えられました。
この「幼児キリスト」という集落には、いつのころからか、クリスマス
になると子供たちから手紙が届くようになり、そうした手紙に返事を
出すために、オーストリア郵政省が特別郵便局を設置しました。
特別郵便局は、毎年11月末から翌年の1月6日まで開かれるようです。
返事は印刷されたものだが、毎年図柄が違うためコレクターもいます。
記念切手と記念スタンプも年ごとに図柄が変わるので、コレクターの
間では大変な人気です。

ベルヒテスガーデンにおけるクリスマスプレゼントの行事

聖ニコラウス祭の様子はどんなものだったのでしょうか。
女の子が手に洗礼者ヨハネの人形を持っていたり、父親が子供たち
に暖炉の煙突を指し示しています。

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おそらくは、聖ニコラウスのクリスマスプレゼントが煙突から届け
られたことを子供たちに話しているのだと思います。
父親に抱かれた幼児は手に聖ニコラウスの形をした菓子を持っていま
す。
ある男の子は、この一年良い子ではなかったらしく、聖ニコラウスから
は何ももらえずに泣いています。
このようにカトリックの色が濃い印象を受けますが、次第に、暖炉
の煙突を指し示すシーンや人形、あるいは聖ニコラウス型のお菓子が
なくなったりしてカトリック色が薄れていきます。
ベルヒテスガーデンはドイツのバイエルン州の南端に位置しており、
古くから風光明媚な町として知られています。
この町は三方をドイツ・アルプスに囲まれた陸の孤島であるため
町には年間を通して古来からの行事が残っていますが、特にクリスマス
の風習は他に類をみないものであるかと思います。
ベルヒテスガーデンでは、聖ニコラウスは従者とともにアドベントの
期間にやってきて、良いお子さんにはプレゼントをあげて、悪いお子さん
にはお説教をして、改悛の兆候が見れれば良い子と同じように
プレゼントを与えます。
ベルヒテスガーデンで特徴的なのは、ブッツマンデルの存在です。
これはこの地域でも三つの集落にしか存在しないそうです。
敬老の日プレゼント
天使がクリスマスプレゼントを届ける

お供である天使が手にベルを持っていて、クリストキントの一行が
来るとかすかにベルの音がしました。
そこで大人が、今さっきベルの音がしなかったかな?
クリストキントが来たんじゃないのかな?
とか、玄関のところにこんな髪の毛が落ちていたけど、これは天使
の髪の毛じゃないのかな?
などと子供たちに言うのですね。
すると子供たちはクリストキントが来たことを察してツリーの飾って
ある部屋に駆け込み、クリスマスプレゼントを見つけるというわけ
であります。
私の知っている老夫婦は、子供の頃、父親が玄関からひろってきた
金髪を、本当の天使の髪の毛だと思っていた、となつかしそうに
思い出を語っていました。
そして、金髪の知り合いがいない親のためには天使の髪の毛という
グラスファイバーの偽毛も売られています。
オランダでは、聖ニコラウスはシントニコラウスと呼ばれていて、
スペインから船に乗り、黒いピーターを伴ってやってきたとされて
います。
オランダに着くと、シントニコラウスは白い馬に乗り、屋根を伝って
各家を回ります。
12月5日の晩に、シントニコラスが煙突から家の中をのぞき、良い子
には暖炉の前に置いてある木靴にお菓子やナッツやおもちゃを入れ
悪い子には黒いピーターがスペインに一年連れて行ってしまうそう
です。
そして、シントニコラスは仕事が終われば、馬で天に帰っていきます。
こうした、風習はいったいどこから来るのでしょうか。
クリスマスの原点に立ち返ることは興味深いものがあります。

良い子には嬉しいクリスマスプレゼントがやってくる

12月6日の聖ニコラウスの日は子供たちにとっては重要な祭りです。
聖ニコラウスはメモ帳を持っており、そこには子供の1年間の行状
が記され、良い子には5日の晩にお菓子や果物やおもちゃを置いて
いきますが、悪い子の靴には、石炭やじゃがいもの皮などを入れて
いくか、従者がその子を一緒に連れて帰ると言われています。
だから、子供たちは、聖ニコラウスがクリスマスプレゼントを入れて
くれるようにと、玄関をきれいに磨いた靴を出しておきます。
従者の役割は、悪い子のお仕置きというあまりいい印象を与えない
ように思われています。
やがてこうしたカトリック地域にも、12月24日の晩に子供たちに
プレゼントする習慣が伝わると、もともとはプロテスタント地域
で発生したプレゼントの届けてクリストキントがクリスマスイブに
登場するようになります。
その後、クリスマスカードが普及するようになってくると、カード
には天使とともにプレゼントを届けているクリストキントが描かれ
ることが好まれました。
ドイツ語では、男性、女性、中性の3種類があり、キントとは子供
のことを表し、中性であります。
これはまさにクリストキントは男の子でも女の子でもなく、頭上に
金の輪をいただいた中世の子供なのです。
南ドイツやオーストリアでは、今でも12月24日にはクリストキント
が来るよ!と言っています。
クリストキントは他人に見られないように細心の注意を払っている
ため、その姿を見たことがある人はいません。

クリスマスプレゼントに欠かせないサンタクロースの起源
ルターは、聖ニコラウス祭の代わりに聖なるキリストが12月24日のク
リスマスイブに贈り物を持ってくる、とすることを思いつきました。
プロテスタントの考え方を、子供にも理解してもらおうと努めました。
その聖なるキリストがやがてクリストキントとなります。
しかし、生まれてまもない幼児がプレゼントを配って歩くには不自然
であるためであることや、キリスト自身がプレゼントの届け手では偶像
崇拝になってしまうため、プレゼントの届け手はクリストキントと
呼ばれているけれど、付き添いの天使のような女の子、あるいは聖ル
チアのような、頭にベールとロウソクの冠をのせた女性のイメージで描
かれるようになりました。
冬おじさんというひげの男がフード付きのコートを着て、ロウソクを
灯したクリスマスツリーをかついでいる絵で、頭にはヒイラギの冠を
かぶっています。
これはですね、祭服を着ていないプレゼントの届け手ををヨーロッパ
で描写したものです。
このイメージはクリスマスのおじさんとして、聖人崇拝を認めていない
プロテスタントの地域に定着します。
このフード付きのコートは、今日のドイツにおけるクリスマスおじさん
やイギリスのファーザークリスマスにつながる服装です。
世界で初めてのサンタクロース像は、アメリカで誕生しますが、フード
ではなく帽子を被っています。
聖ニコラウス祭は、カトリック色の強い南ドイツ、オーストリア、
オランダ、ベルギー、フランスなどで祝われていました。

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